間抜けの構造 ビートたけし/著 — 新潮社

おもしろい本。

特におもしろいなーと思ったのは、あとがきがないこと。
それに、「この本に〇〇してくださった××社の△△さんに心から感謝します」みたいな、読者にとってもおもしろくも何ともない決まり文句を省いていること。
さらに、これらのセオリーを無視して、新書らしく「間抜けの”構造”」とかいうタイトルを採用しているところ。

ビートたけしさんの文章の「間」を、存分に味わえる本です。

翻って、俺って、間が「長い」よなぁって思う。
間がわるいことはないし、読むことも割と起用にできる方だと思うんだけど。

お笑いをやっていた頃、それは顕著にあったなと思って。
大喜利がとにかく下手だった。
あれはまさしく「間」が支配する舞台で、その場に乗れないとメンバーの邪魔をしてしまう。
ひな壇芸人のトークに近いものがあるんだろうか。

俺は間が長いもんだから、お題や、司会の発言にとっさに反応して笑いを取ることができない。
あらかじめ仕込んでおいたネタはそれなりにウケることもあるんだけど、これができないことは当時相当なコンプレックスだった。
ちなみに、このとっさに反応する能力を、仲間内では「お笑い瞬発力」と呼んでいた。
こういう、何かしらのことばが生成されるくらい、瞬発力というのは現代お笑いに必須の能力になっている。

例を出すまでもなく、フットボールアワーの後藤さんとか、ブラックマヨネーズの二人とか、すさまじい瞬発力を持っている芸人がいて、そういう人たちには憧れがある。
一方で、その相方、上の例で言えば岩尾さんとかは、ゆるい間を持っていて、コンビとしてバランスを保つことでおもしろくなっているんだと思う。
また、本書でたけしさんは、スリムクラブの独特の「間」についても言及していて、これらは「変化球」みたいなもんで、現代の主流じゃないとも言っている。

音楽も、特に邦楽はほとんど息つく暇もないくらい「間」を削減している。
最近流行ったRADWIMPSの『前前前世』も、星野源の『恋』も、一般人では歌えないんじゃないかってくらい、間がない。
最近の曲で、原曲原キーで歌えるのって、ほとんどないように感じる。

まあ、今の流れが速いから、金を稼げるのはどうしても間が速い人になっちゃうんだけど、それについてもたけしさんは、本書で「時代の間」という概念を使い、俯瞰して見ている。
最後に結びとして「もうちょっと、ゆるくしたら」みたいなことも書いているから、もうちょっとゆるい方が、世の中がおもしろくなるとたけしさんは感じているんだろう。

俺も結構そう思うし、そういう「時代の間」が到来してくれるならありがたいと思う。
(モテたい)